第38代天智天皇は、1360年の昔大化改新を断行され、古代国家の基礎を確立されました。ご在位(称制)7年(西暦667年)近江大津宮に遷都された天智天皇は、この都に正式に即位され、漏刻(ろうこく-水時計)を設置して時刻制度を開始。法律の原点、近江令の施行。全国規模の戸籍の編纂など、改新の諸事業を展開され、中興の英主と称えられます。
ご在世のみぎり、成文法憲法の源である「近江令」の制定、公立教育制度の創始である「勧学院」の創立、漏刻(水時計)の設置と時刻制度の開始、全国規模のの戸籍台帳「庚午年籍」の作成、国土の開発、街道の整備、天文、暦法、文化芸術の奨励、また、産業、殖産、農業政策の刷新ほか、後世に大きな影響を与え続けた諸政策を執り行なわれました。
越の国(新潟県)より大津宮に「燃ゆる水(原油)」が献上されました日本書紀の記録は、わが国の文献における「石油」の初見であり、ほかにも各種の科学技術を積極的に使用されたことが記録からうかがえます。
越の国(新潟県)より大津宮に「燃ゆる水(原油)」が献上されました日本書紀の記録は、わが国の文献における「石油」の初見であり、ほかにも各種の科学技術を積極的に使用されたことが記録からうかがえます。
また、小倉百人一首巻頭の天智天皇御製
「秋の田の刈り穂のいほの苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ」
は古来より広く親しまれ、近江神宮では、かるた祭-かるた開きの儀-が行われています。
「秋の田の刈り穂のいほの苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ」
は古来より広く親しまれ、近江神宮では、かるた祭-かるた開きの儀-が行われています。
ことに滋賀県・近江国では、その発展のもとは近江大津宮に都をおかれたことにはじまるとして崇敬の念が篤く、近年に至って、大津市が古都保存法による第十番目の古都に指定されたのも、大津宮遷都をもととしています。
天智天皇の御陵は十陵の筆頭として、歴代朝廷から奉幣が行われ、平安時代を通じて、その忌日には一般の政務を停止し、崇福寺での法要に当ることになっていました。後世に至るまで歴代天皇のなかでも格別の位置に置かれていたことがうかがわれます。
また歴代天皇の即位に当っての宣命には、かならず天智天皇のことに言及されるなど、皇室の歴史のなかでも特別崇敬の深い天皇であられました。
また歴代天皇の即位に当っての宣命には、かならず天智天皇のことに言及されるなど、皇室の歴史のなかでも特別崇敬の深い天皇であられました。